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【発明の名称】 転動部材とその製造方法
【発明者】 【氏名】高山 武盛
【住所又は居所】大阪府枚方市上野3丁目1−1 株式会社小松製作所生産技術開発センタ内
【課題】通常市販性が高く、かつ安価なベース鋼材を用いた歯車の表面から焼戻し軟化抵抗性や耐焼付き性を改善する合金元素を拡散浸透させた後に、浸炭、浸炭浸窒もしくは浸窒処理を施すことにより、耐ピッチング強度を高める。

【解決手段】フェライトFe相を安定化する作用および鋼中の炭素と反発し合う作用を有するSi,Al,Be,Co,P,Snのうちの少なくとも一種以上からなる合金元素を表面層から拡散浸透させるとともに、その表面層を浸炭、浸炭浸窒および/または浸窒処理した後に焼入れもしくは焼入れ焼戻し処理を施す。
【特許請求の範囲】
【請求項1】
鋼製の転動部材であって、表面層から一種以上の合金元素を拡散浸透させるとともに、その表面層を浸炭、浸炭浸窒および/または浸窒処理した後に焼入れもしくは焼入れ焼戻し処理が施されていることを特徴とする転動部材。
【請求項2】
前記合金元素がフェライトFe相を安定化する作用および鋼中の炭素と反発し合う作用を有するSi,Al,Be,Co,P,Snのうちの少なくとも一種以上からなることを特徴とする請求項1に記載の転動部材。
【請求項3】
表面層に少なくともC:0.5〜1.7重量%を含有し、さらに、N:0.2〜2.0重量%、Si:1.0〜5.0重量%、Al:0.5〜20重量%、Co:1.0〜30重量%、Be:0.1〜5.0重量%の一種以上の合金元素を含有していることを特徴とする請求項1または2に記載の転動部材。
【請求項4】
少なくともC:0.10〜0.35重量%を含有する炭素鋼、低合金鋼および/または各種肌焼き鋼等をベース鋼材とし、その表面層が式
5≦4.3×Si(重量%)+7.3×Al(重量%)+3.1×V(重量%)+1.5×Mo(重量%)+1.2×Cr(重量%)×(0.45÷C(重量%))
の関係を満足するようにSi,Alの一種以上が拡散浸透され、さらに、浸炭処理および/または浸炭浸窒処理によってその浸炭または浸炭浸窒表面層の炭素濃度が0.6〜1.7重量%に調整されるとともに、その処理に続いて焼入れと300℃以下の焼戻し処理、もしくはその処理後に一旦冷却して、再加熱焼入れと300℃以下の焼戻し処理を施し、300℃の焼戻し処理によってもHRC58以上の硬さが確保されるようにしたことを特徴とする請求項1または2に記載の転動部材。
【請求項5】
浸炭された転動部材において、その浸炭表面層の炭素濃度が0.6〜1.7重量%に調整され、その浸炭中に表面層にセメンタイトが析出しない状態から一旦A1温度以下に冷却した後に再加熱焼入れと300℃以下の焼戻し処理を施し、その浸炭表面層の焼戻しマルテンサイト相中に1μm以下の微細なセメンタイト粒子を分散させ、300℃の焼戻し処理によってHRC62以上の硬さが確保されるようにしたことを特徴とする転動部材。
【請求項6】
表面層におけるCr含有量をSi含有量の1.4倍以下に抑えるとともに、Mo:0.35重量%以下、V:0.4重量%以下、(Mn+Ni):1.0〜2.5重量%のいずれか一種以上が添加され、かつそれらの含有量が式
−0.146×Si(重量%)+0.03×Mn(重量%)−0.024×Ni(重量%)+0.075×Cr(重量%)+0.043×Mo(重量%)+0.133×V(重量%)≦0
の関係を満足することを特徴とする請求項1または2に記載の転動部材。
【請求項7】
フェライトFe相を安定化し、鋼中の炭素と反発し合うSi,Al,Co,Be,Snの一種以上を同時もしくは先行して拡散浸透させながら、炭素と強力に反応するCr,Mo,V,Ti,W等の炭化物形成元素を拡散浸透した後、浸炭、浸炭浸窒もしくは浸窒処理を施し、それらの元素が拡散浸透する表面層にCr,MoC,V,TiC,TiCN,TiN,AlN,WC等の特殊炭化物、特殊炭窒化物、窒化物の一種以上を微細に分散析出させたことを特徴とする請求項1に記載の転動部材。
【請求項8】
前記フェライトFe相を安定化し、鋼中の炭素と反発し合う合金元素Si,Al,Co,Beの一種以上および/またはCr,Mo,V,Ti,Wの一種以上と顕著な時効硬化性を有するNi等の合金元素を拡散浸透させたことを特徴とする請求項7に記載の転動部材。
【請求項9】
少なくともC:0.10〜0.35重量%を含有するとともに、Si:0.05〜1.0重量%、Mn:0.3〜1.5重量%、Ni:0〜2.5重量%、Cr:0〜2.0重量%、Mo:0〜0.35重量%、V:0〜0.4重量%を含有し、さらに、Cu,W,Ti,Nb,B,Zr,Ta,Hf,Al,Caの一種以上の合金元素とP,S,N,O等の不可避的不純物元素を含有し、残部が実質的にFeからなるベース鋼材を用いることを特徴とする請求項1〜8のいずれかに記載の転動部材。
【請求項10】
鋼製転動部材の製造方法であって、表面層にフェライトFe相を安定化し、鋼中の炭素と反発し合う合金元素:Si,Al,Co,Beの一種以上を表面層から少なくとも10μm以上の深さに拡散浸透させる工程と、この工程の後に、焼入れまたは焼戻し処理を施す工程を有することを特徴とする転動部材の製造方法。
【請求項11】
前記フェライトFe相を安定化し、鋼中の炭素と反発し合う合金元素:Si,Al,Co,Beの一種以上を先行して拡散浸透させ、さらに、フェライトFe相安定化元素で、かつ、強力な炭化物形成元素および/または窒化物形成元素であるCr,Mo,V,Ti,Wの一種以上を拡散浸透させ、後工程の浸炭、浸炭浸窒および/または浸窒によって表面層に特殊炭化物、特殊炭窒化物、窒化物を微細に分散析出させることを特徴とする請求項10に記載の転動部材の製造方法。
【請求項12】
前記フェライトFe相を安定化し、鋼中の炭素と反発し合う合金元素Si,Al,Co,Beの一種以上および/またはCr,Mo,V,Ti,Wの一種以上と顕著な時効硬化性を有するNi等の合金元素を拡散浸透させたことを特徴とする請求項10または11に記載の転動部材の製造方法。
【請求項13】
前記合金元素を拡散浸透させる際に、それらの合金元素を含有する塩素(C1)、ヨウ素(I)、フッ素(F)、水素(H)系揮発ガス等が用いられる請求項10〜12のいずれかに記載の転動部材の製造方法。
【請求項14】
前記合金元素を拡散浸透させる際に、珪素浸透、Al浸透、Cr浸透等に使用する一種以上の固体媒剤を用いて拡散浸透した後に、不活性、還元性、真空および/または浸炭雰囲気中で拡散浸透処理が施される請求項10〜12のいずれかに記載の転動部材の製造方法。
【請求項15】
前記合金元素を拡散浸透させる際に、それらの合金元素を含有する溶融メッキ法、塩浴法、電気メッキ法、化学メッキ法、蒸着法、スパッタリング法、溶射法等の各種方法でプレーティングした後に、不活性、還元性、真空および/または浸炭雰囲気中で拡散浸透処理が施される請求項10〜12のいずれかに記載の転動部材の製造方法。
【請求項16】
前記合金元素を拡散浸透させる際に、請求項13〜15のいずれか一種以上の方法を組み合わせて拡散浸透処理が施される10〜12のいずれかに記載の転動部材の製造方法。
【請求項17】
前記浸炭、浸炭浸窒処理は、真空浸炭およびプラズマ浸炭が処理可能な浸炭、浸炭浸窒処理炉を用いて、少なくとも1000℃以上の温度で処理することにより行われる請求項10〜12のいずれかに記載の転動部材の製造方法。
【請求項18】
前記浸炭および/または浸炭浸窒処理後にその処理に続いて焼入れと300℃以下の焼戻し処理、もしくはその処理後に一旦冷却して、再加熱焼入れと300℃以下の焼戻し処理が施される請求項10〜12のいずれかに記載の転動部材の製造方法。
【請求項19】
前記再加熱焼入れ処理によって、浸炭および/または浸炭浸窒処理する表面層がマルテンサイト相にセメンタイトが分散した組織になるようにされる請求項18に記載の転動部材の製造方法。
【発明の詳細な説明】【0001】
【発明の属する技術分野】
本発明は、浸炭焼入れおよび/または浸炭浸窒焼入れおよび高周波焼入れ法によって製造される歯車等の転動部材に関するもので、より詳しくは300〜350℃での低温焼戻し軟化抵抗性を顕著に高める合金元素を歯車の歯車表面層に拡散浸透させるとともに、浸炭、浸炭浸窒および/または浸窒処理によってその表面層に炭素および/または窒素を拡散浸透させた後に、直後焼入れ焼戻しもしくは再加熱焼入れ焼戻し処理を施し、耐ピッチング強度を高めた歯車等の転動部材とその製造方法に関するものである。
【0002】
【従来の技術】
自動車や建設・土木用機械に使用されている歯車減速装置や変速装置には、高出力化や軽量コンパクト化に対応した高い動力伝達力に対するニーズが高まっており、特に、歯車やベアリング等の転動部材に対してはよりコンパクトで高い面圧強度の特性が望まれている。また、歯車等の面圧強度を高める手段として、歯車では浸炭処理、窒化処理、高周波焼入れ処理等によってその表面を硬化させることが通常的に実施されている。またさらに、面圧強度を高めるため焼戻し軟化抵抗性を高めるようなMo等の積極的な鋼への添加等の材料的な手段も採られている。特に、近年においては、浸炭や浸炭浸窒処理後に焼入れし、ショットピーニングを施し、積極的に表面硬度を高めるとともに、顕著な圧縮残留応力を付与する方法についても多く検討されている。
【0003】
また、浸炭法により鋼表面に高密度なセメンタイトを析出させることによって、表面硬度を高め、かつ、その焼戻し軟化抵抗性を高めることによって面圧強度を高める方法も報告されている(特許文献1参照)。
【0004】
さらに、浸炭浸窒によって鋼表面に高密度なAlNを微細に分散析出させ、かつ、表面層のマルテンサイト葉を微細にすることによって面圧強度を高める方法も報告されている(特許文献2参照)。
【0005】
【特許文献1】
特公昭62−24499号公報
【特許文献2】
特開平10−176219号公報
【0006】
さらにまた、歯車が噛み合う時のすべり率の大きなベベルギヤ類においては接触面圧疲労強度だけでなく、すべり時の発熱による耐焼付き性(耐スカッフィング性)の悪さが原因となる歯車の折損やピッチングの発生が問題となっているために、耐焼付き性に優れたMoS等の潤滑膜を歯面にコーティングすることも実施されている。
【0007】
【発明が解決しようとする課題】
焼戻し軟化抵抗性を高めるMo,V,Ti,Cr,Wを従来よりも多く添加した鋼を浸炭することによって面圧強度を高める手段が検討されているが、面圧疲労強度を高めるのに必要な低温度域での焼戻し軟化抵抗性を余り高めないために十分な改善が期待できず、またこれらの合金元素を多量に添加した場合には、鋼材コストと機械加工コストの顕著な増大を招くという問題点がある。また、Ti,V,W,Mo等を多量に添加すると、鋼材溶製の段階で炭素および窒素と炭化物、炭窒化物、炭化物として析出するため、多量に添加できない等の問題点がある。
【0008】
また、前記浸炭品表面に対して強烈なショットピーニングを実施し、表面から約100μm程度に存在する残留オーステナイトをマルテンサイト変態させて、より高い表面硬度と大きな圧縮残留応力を発生させることによって面圧強度向上を図ったものも報告されているが、この方法によれば、現実的には浸炭時に発生する粒界酸化層(欠陥層)におけるショットによる微視的欠陥の発生によって転動初期における摩耗粉の発生と、面あれによる摩擦係数の増大等のマイナス効果があり、さらには負荷される圧縮残留応力が220℃程度の低温温度域で急速に開放されることやショットが焼戻し軟化性改善にあまり効果的でないことから、必ずしも汎用的には利用できないという問題点がある。
【0009】
さらに、浸炭方法によって表面層にセメンタイト相を高密度に分散させる高炭素浸炭(過剰浸炭)法を歯車に適用する方法が前記特許文献1に開示されているが、この方法によれば、高密度に析出させるセメンタイト粒子が5〜10μmと大きくなり易く、かつ、セメンタイト同士の凝集が起き易く、さらに、粒界に沿った巨大な析出が起こるため、結果的には接触応力によってセメンタイト凝集体が破壊され、表面欠陥の起点としてのマイナス効果が顕在化し、歯車に適用した場合には、歯元強度の低下を来たすなどの問題点がある。
【0010】
また、前記特許文献2に開示されているように、Alを多量に添加した鋼を浸炭浸窒処理し、表面層にAlNを分散析出させて焼入れ処理で形成されるマルテンサイト葉を微細化することによって面圧強度を高める方法は、Alが強力なフェライトFe相を安定化する元素であるために、その添加量に限界があって十分な機能を発現できず、さらに鋼材そのものが特殊鋼化するために、鋼材コストが顕著に高くなるという問題点がある。
【0011】
本発明は、従来の浸炭焼入れ歯車の耐面圧強度が十分でない問題点とその耐焼付き性が悪いという問題点と、さらに、転動部材のベース鋼材が特殊鋼化する問題点を解消するためになされたもので、通常市販性が高く、かつ安価なベース鋼材を用いた歯車の表面から前記焼戻し軟化抵抗性や耐焼付き性を改善する合金元素を10μm以上の深さに拡散浸透させた後に、浸炭、浸炭浸窒もしくは浸窒処理を施し、さらに、焼入れおよび/または焼入れ焼戻し処理を行うことを特徴としたものである。
【0012】
また、本発明は、滑りを伴う転動条件で使用する歯車として、その耐面圧強度が稼動中に起こる歯車温度の300℃での焼戻し硬さがHRC58以上となる各種の耐高面圧用の浸炭焼入れ歯車を開発したものである。
【0013】
さらに本発明は、前記浸炭および/または浸炭浸窒後一旦A1変態温度以下に冷却後、再加熱焼入れ焼戻し処理を施して、歯面表面層がマルテンサイト相中に微細なセメンタイト粒を分散させ、ピッチング強度を高めたものであり、300℃での焼戻し硬さがHRC62以上となるように焼戻し軟化抵抗性を高め、浸炭焼入れ歯車と同等以上のピッチング強度を発現できる安価な高周波焼入れ硬化歯車等の転動部材を提供することを目的とするものである。
【0014】
さらにまた本発明は、強力なフェライト安定化元素で、鋼中の炭素と強力に反発する拡散性の高いSiと同時にフェライト安定化元素でかつ、炭化物形成元素であるCr,Mo,V,Wの一種以上を拡散浸透させ、後の浸炭および/または浸炭浸窒処理によって、特殊炭化物および/または特殊炭窒化物を表面層中に分散させたことを特徴とする高耐面圧歯車等の転動部材を開発したものである。
【0015】
さらにまた本発明は、表面層にNiTi,CoAl,FeCo,FeSi,FeAlの規則相出現範囲の組成に調整することによって、表面層を摺動特性の良い材料成分系に調整したことを特徴とする高耐面圧歯車等の転動部材を開発したものである。
【0016】
【課題を解決するための手段および作用・効果】
浸炭焼入れ処理を施したSNCM815,SCM420,Scr420,SMnB420鋼について、それらの滑りを伴う転動面圧強度(ピッチング強度)を面圧375〜220kgf/mmの範囲で予備調査した結果、10回転でピッチングが発生し始める面圧は210kgf/mmであり、各面圧でピッチングを発生した転動面最表面層のマルテンサイト相のX線半価幅は4〜4.2°に減少するとともに転動面最表面層において顕著な軟化が認められる。
【0017】
また、S55C炭素鋼を焼入れ焼戻し処理によってHRC61〜62に調整した炭素鋼について、面圧250kgf/mmでの転動面圧強度を予備調査した結果、10回転でピッチングが発生し始める面圧がほぼ180kgf/mmであり、面圧250kgf/mmでピッチングを発生した転動面のマルテンサイト相のX線半価幅は前記浸炭肌焼鋼のそれとほぼ同様に3.6〜4.2°に減少している。
【0018】
さらに、共析炭素鋼(0.77重量%C)についてもその転動面圧強度を予備調査した結果、10回転でピッチングが発生し始める面圧でほぼ230〜240kgf/mmであり、ほぼ同じ炭素量からなる前記浸炭肌焼鋼の転動面圧強度とほぼ同じであり、浸炭肌焼鋼の方が転動表面の粒界酸化層や不完全焼入れ層が存在することによる転動面圧強度のバラツキによる低下が見られることがわかった。
【0019】
またさらに、共析炭素鋼(0.82重量%C)の転動面を高周波焼入れしたものの転動面圧強度を予備調査した結果、10回転でピッチングが発生し始める面圧がほぼ260〜270kgf/mmであり、ほぼ同じ炭素量からなる前記浸炭肌焼鋼の転動面圧強度とほぼ同じであり、浸炭肌焼鋼の方が転動表面の粒界酸化層や不完全焼入れ層が存在することによる転動面圧強度のバラツキによる低下が見られることがわかった。
【0020】
さらに、前記微細なセメンタイト粒子を分散させる観点から、約1.0重量%炭素と1.5重量%のCrを含有するSUJ2を840℃から焼入れた後にHRC62.5になるように焼戻したものの転動面圧強度を予備調査した結果、10回転でピッチングが発生し始める面圧がほぼ270kgf/mmであり、前記共析鋼のそれとほぼ同じ強度を示し、面圧250kgf/mmでピッチングを発生した転動面のマルテンサイト相のX線半価幅は前記浸炭肌焼鋼のそれとほぼ同様に4.2〜4.5°に減少していることがわかった。
【0021】
さらに、炭素が0.46,0.55,0.66,0.77,0.85重量%含有される炭素鋼を820℃から焼入れ、100〜350℃で各3時間焼戻したときの硬さとX線半価幅を調査し、さらに、すでに公開されているこれらに関するデータ(例えば「材料」、(社)日本材料学会、第26巻第280号、P26)を参考にして検討した結果、マルテンサイト相のX線半価幅が4〜4.2°になる硬さはほぼHRC51〜53に焼戻される状態に相当し、例えば浸炭肌焼鋼の表面炭素濃度がほぼ0.7〜0.9重量%に調整されていることを参考にすると、その焼戻し温度はほぼ300℃に相当することがわかった。
【0022】
以上の予備試験結果から、歯車が高面圧下で噛み合う際に発生する熱によって歯面最表面部が焼戻され、軟化することによって、ピッチングを発生することを明らかにし、さらに、浸炭焼入れ歯車並みのピッチング強度を得るための指標としては300℃での焼戻し硬さがHRC53以上となることが必要であることを明らかにした。
【0023】
また、SCM420鋼に浸炭焼入れ処理を施した浸炭硬化層の300℃焼戻し硬さと、単に焼入れ処理を施した共析炭素鋼の300℃焼戻し硬さとの比較において、焼戻し軟化抵抗性に対するCr,Moの改善がほとんど確認されないために、光輝焼入れや高周波焼入れ法によって浸炭焼入れ歯車以上のピッチング強度を付与するためには、ほぼ300℃での低温焼戻しにおける焼戻し軟化抵抗性を高める新たな合金設計が必要となること、および、前記共析炭素鋼(0.82重量%C),SUJ2の転動面圧強度改善作用のように微細なセメンタイト粒子などをマルテンサイト相中に分散させることが効果的であることがわかった。
【0024】
なお、前述の浸炭焼入れによるピッチング強度と同等以上(面圧Pmax=230kgf/mm以上)に耐える歯車設計としては、ヘルツ面圧の理論解析に基づいて、面圧値の0.3倍の片振り剪断応力(R=0)の疲労強度に耐える硬さが設定されるが、その計算値はほぼHRC53.4であり、前述の予備試験においてピッチングが発生した転動面のマルテンサイト相のX線半価幅から求まる硬さ(HRC=53)と極めて良く合致しており、また、その硬さが滑りを伴う転動により発生する摩擦熱によって、転動面最表面部がほぼ300℃に昇温する時点でピッチングが発生することから、300℃焼戻し硬さを少なくともPmax=230kgf/mmに耐えるためのHRC54以上となるように設定することによって浸炭焼入れ歯車と同等以上の高面圧歯車が開発されることがわかった。
【0025】
なお、さらに、実施例2で後述するように、炭素を0.1〜1.0重量%含有する炭素鋼の300℃焼戻しマルテンサイト相の硬さが、式
HRC=36×√C(重量%)+20.9
で記述され、この硬さを基準にして各種合金元素の300℃焼戻しマルテンサイト相の硬さに対する影響を調査した結果、300℃焼戻しマルテンサイト相の硬さが、式
HRC=(36√C(重量%)+20.9)+4.33×Si(重量%)+7.3×Al(重量%)+3.1×V(重量%)+1.5×Mo(重量%)+1.2×Cr(重量%)×(0.45÷C(重量%))
で記述されることを明らかにした。
【0026】
なお、歯車減速機のコンパクト化による経済性を検討した場合には、ワンランクサイズダウンを可能とするコンパクト化率25〜30%が最も好都合である場合が多い。この場合、歯車面圧強度が従来面圧強度の1.15倍以上改善されることが必要であり、最も汎用的に使用されている浸炭焼入れ歯車の耐面圧性230kgf/mmを265kgf/mmに改善することが必要であり、歯面の300℃焼戻し硬さがHRC58以上であることが必要となり、より好ましくはHRC60以上が必要となることがわかる。
【0027】
また、良く利用されているSCM系の浸炭焼入れ材料における浸炭層の300℃焼戻し硬さは、通常HRC=53〜55の範囲にあることから、例えばSi添加によってHRC60以上を満足させる場合には1.5重量%以上のSi添加が必要であり、Al添加でも約1重量%以上の添加が必要となり、これら組成の特別組成鋼を溶製する必要があるために、経済的でない問題があるとともに、高合金鋼化による機械加工性が悪くなる問題がある。
【0028】
さらにまた、SCM420Hの浸炭転動面におけるローラピッチングテスト前後の硬さ調査を実施した結果、表面から約70μm深さまでの硬さ低下(軟化)が確認され、特に、最表面から約10〜20μmまでの組織が変質していることが多く観察された。
【0029】
そこで、第1発明においては、前記のように歯車等転動面を強化する各種合金元素の一種以上を転動表面層に拡散浸透させるとともに、その表面層に浸炭および/または浸炭浸窒処理によって炭素および/または窒素を浸透拡散させた後に焼入れ焼戻したことを特徴とすることによって、安価な鋼材を利用して、表面層の焼戻し軟化抵抗性および/または耐焼付き性を顕著に高めた鋼製転動部材を開発した。
【0030】
また、その合金元素の拡散浸透深さは少なくとも10μm以上で、好ましくは50μm以上であることとした。
【0031】
なお、前記拡散浸透させる合金元素としては、前記焼戻し軟化抵抗性を顕著に高める作用を有するとともに、転動面圧強度に耐えるだけの深さの浸透拡散層が得られやすいようにその合金の拡散固溶によって拡散性に優れたフェライトFe相を形成すること、および拡散浸透する合金元素が鋼中の炭素と結合して多量の炭化物を形成しないSi,Al,Be,Co,P,Snのうちの一種以上を選定することを特徴とした(第2発明)。
【0032】
また、前記鋼製転動部材のベース鋼材としては、少なくともC:0.10〜0.35重量%を含有する炭素鋼、低合金鋼および/または肌焼き鋼をベース鋼材とし、その鋼材転動部材の表面層が、少なくともC:0.5〜1.7重量%を含有し、さらに、N:0.2〜2.0重量%、Si:1.0〜5.0重量%、Al:0.5〜20重量%、Co:1.0〜30重量%、Be:0.1〜5.0重量%の一種以上の合金元素が含有されていることを特徴とする鋼製転動部材とした(第3発明)。
【0033】
ここで、焼戻し軟化抵抗性を高めるCoの作用は、マルテンサイトの磁気変態温度を顕著に高め、焼戻し温度での軟化のための拡散性を顕著に抑制することに基づくものであり、さらに、高濃度なCoを含有するFe−Co合金においては規則相を形成し、摺動時の耐焼付き性を向上する機能を有することは明らかである。なお、規則相形成による耐焼付き性の向上現象はFe−Al(OMRF:特開2002−180216号公報参照)、Fe−Si,Fe−Co−Alにおいても認められることは明らかである。
【0034】
さらに、第4発明として、前記鋼製転動部材の表面層が、式
5≦4.3×Si(重量%)+7.3×Al(重量%)+3.1×V(重量%)+1.5×Mo(重量%)+1.2×Cr(重量%)×(0.45÷C(重量%))
の関係を満足するようにSi,Alの一種以上が拡散浸透され、さらに、浸炭処理および/または浸炭浸窒処理によってその浸炭または浸炭浸窒表面層の炭素濃度が0.6〜1.7重量%に調整されるとともに、その処理に続いて焼入れと300℃以下の焼戻し処理、もしくはその処理後に一旦冷却して、再加熱焼入れと300℃以下の焼戻し処理を施し、300℃の焼戻し処理によってもHRC58以下の硬さが確保されるようにした。
【0035】
また、第5発明による転動部材は、前記浸炭された転動部材において、その浸炭表面層の炭素濃度が0.6〜1.7重量%に調整され、その浸炭中に表面層にセメンタイトが析出しない状態から一旦A1温度以下に(ガス)冷却した後に再加熱焼入れと300℃以下の焼戻し処理を施し、その浸炭表面層の焼戻しマルテンサイト相中に1μm以下の微細なセメンタイト粒子を分散させ、300℃に焼戻し処理によってもHRC62以上の硬さが確保されるようにしたことを特徴とする。
【0036】
ここで、炭素量を1.7重量%以下と限定した理由は、これ以上の炭素含有量では浸炭処理中において転動表面層での粗大なセメンタイト粒子(3μm以上)の発生が避けられず、その歯車の曲げ強度が劣化する危険性が高いためであり、また、その浸炭中に表面層に粗大なセメンタイトを析出させずに1.7重量%以上の高濃度浸炭を実施することは、浸炭温度を1100℃近くまで高める必要があり、設備的な制限からである。
【0037】
また、前記発明においては、酸化物形成傾向の強いSi,Al,Be等の合金元素を浸透拡散させることから、前記表面炭素濃度を0.9〜1.7重量%にする高濃度な浸炭は炭素活量(ac)が1近くの高い炭素ポテンシャル状態でかつ好ましくは高温度側(1000℃以上)で実施されるために、酸素分圧を極度に低減した真空浸炭やプラズマ浸炭法で浸炭することが好ましい。また、その浸炭中に表面層に粗大なセメンタイトが析出しないように、高精度に炭素ポテンシャルを制御する必要があるが、1000℃を越える高い炭素ポテンシャルでの浸炭制御が極めて困難であることから、鋼材成分中のCrが粗大なセメンタイトの析出を促進することに着目し、表面層におけるCr添加量を0.5重量%以下に低減するかもしくはSi添加量がCr添加量の1.4倍以上になるように調整することによって、前記の高い炭素ポテンシャル状態での浸炭処理中においてもセメンタイトが析出しないようにした(第6発明)。
【0038】
より詳細に見るときには、Mn,Ni,Mo等の影響も考慮する必要があり、それらの含有量は、式
−0.146×Si(重量%)+0.03×Mn(重量%)−0.024×Ni(重量%)+0.075×Cr(重量%)+0.043×Mo(重量%)+0.133×V≦0
の関係を考慮することが好ましいが、実質的には、表面Si濃度が1.0〜5.0重量%になるようにして使用することが好ましい。
【0039】
また、フェライトFe相を安定化し、鋼中の炭素と反発し合うSi,Al、Co,Beを同時もしくは先行して拡散浸透させた場合には、先行して浸透拡散するSi等の元素がフェライトFe相を形成しながらその相内の炭素含有量を顕著に低減させるので、鋼中の炭素と強力に反応して炭化物を形成するCr,Mo,V,Ti,W等の合金元素を表面から遅れて浸透拡散させた場合には、Cr,Mo,V,Ti,Wによる炭化物の形成が防止されるので、これらの合金元素の浸透拡散処理後に前記浸炭処理および/または浸炭浸窒処理を施すことによって耐焼付き性に優れたCr,MoC,WC,V,TiC,TiCN,AlN,セメンタイトの炭化物および/または炭窒化物を析出させることを特徴とする転動部材を開発した(第7発明)。
【0040】
なお、この第7発明において、転動部材の表面層における浸炭、浸炭浸窒および/または浸窒後の炭素濃度および/または窒素濃度は顕著に高まるが、C:0.5〜3.5重量%、N:0〜2.5重量%で十分その機能が達成されることは明らかである。
【0041】
さらに、前記先行して拡散浸透させるSi,Al,Co,Beの一種以上および/またはCr,Mo,V,Ti,Wの一種以上と顕著な時効硬化性を有するNi,Co等の合金元素を拡散浸透させた後に、浸炭処理および/または浸炭浸窒処理、焼入れおよび/または焼入れ焼戻し処理を施すことを特徴とする転動部材を開発した(第8発明)。
【0042】
なお、本発明においては、面圧強度を高めることに寄与する合金元素の全てを拡散浸透処理によって付与するものではなく、前記ベース鋼材にあらかじめ含有させておくことができることは明らかであり、第9発明においては、前記転動部材のベース鋼材として、少なくともC:0.10〜0.35重量%を含有するとともに、Si:0.05〜1.0重量%、Mn:0.3〜1.5重量%、Ni:0〜2.5重量%、Cr:0〜2.0重量%、Mo:0〜0.35重量%、V:0〜0.4重量%、さらに、Cu,W,Ti,Nb,B,Zr,Ta,Hf,Al,Caの一種以上の合金元素とP,S,N,O等の不可避的不純物元素が含有され、残部が実質的にFeからなる鋼材を用いることを特徴とした。
【0043】
さらに、歯面強度の向上や歯元曲げ強度の向上のために歯面、歯元、歯底部にショットピーニングやローラバニシング等の物理的加圧処理を施し、明らかな圧縮残留応力を発生させることがより高強度の歯車等の転動部材に好ましいことは明らかであり、これらの処理を施した転動部材も本発明範囲にある。
【0044】
前記合金元素を転動面表面に拡散浸透させた転動部材の製造方法として、第10発明では、フェライトFe相を安定化し、かつ、鋼中の炭素と反発し合うSi,Al,Co,Beの一種以上の合金元素を表面層から少なくとも10μm以上の深さにまで拡散浸透させる工程と、その後に浸炭、浸炭浸窒もしくは浸窒処理を施す工程、さらに、焼入れまたは焼入れ焼戻し処理を施す工程からなることを特徴とする鋼製転動部材の製造方法を開発した。
【0045】
なお、前記フェライトFe相を安定化する合金元素の拡散浸透処理は、表面拡散層においてフェライトFe相を形成し、拡散性が高められることから、その下限処理温度を850℃にすることができ、上限温度はその処理およびその後に続く浸炭処理および浸炭浸窒処理の設備費の関係から1200℃とすることが好ましい。
【0046】
また、浸炭処理および浸炭浸窒処理の下限温度はその生産性を考慮して、850℃とし、その上限温度は表面層の炭素濃度を1.7重量%に高める必要性から1100℃とした。
【0047】
さらに、第11発明では、前記Si,Al,Co,Beの一種以上を同時もしくは先行して拡散浸透させ、さらに、フェライトFe相を安定化する元素で、かつ、強力な炭化物形成元素もしくは窒化物形成元素であるCr,Mo,V,Ti,Wの一種以上を拡散浸透させた後に、浸炭、浸炭浸窒および/または浸窒処理を施し、転動表面層においてCr,TiC,TiN,TiCN,AlN,MoC,WC等の特殊炭化物、特殊炭窒化物および/または特殊窒化物を微細に分散析出させることを特徴とした。
【0048】
さらにまた、第12発明では、前記先行して拡散浸透させるSi,Al,Co,Beの一種以上および/またはCr,Mo,V,Ti,Wの一種以上と顕著な時効硬化性を有するNi,Co等の合金元素を拡散浸透させることを特徴とした。
【0049】
また、第13発明では、転動面表面層からの合金元素の拡散浸透工程では、前記850〜1200℃の温度範囲で、転動部材を加熱しながら目的とする合金元素を含有する塩素化合物系ガス(例えばSiCl等)、ヨウ素化合物系ガス(例えばCrI等)、フッ素化合物系ガス(例えばCrF等)、水素化合物系ガス(例えばSiH等)を用いて拡散浸透することを特徴とした。
【0050】
また、第14発明では、従来から工業的に実施されている珪素浸透法(シリコナイジング)、Al浸透法(カロライジング)、Cr浸透法(クロマイジング)等に使用する一種もしくは二種以上の固体媒剤を用いて一種もしくは二種以上の合金元素を拡散浸透させた後、不活性、還元性、真空および/または浸炭性雰囲気中でさらに拡散処理し、表面層における金属間化合物(FeSi,FeAl系)を固溶させ、さらに、表面層中の合金元素濃度を調整することを特徴とした。
【0051】
またさらに、本発明における合金元素の拡散浸透はその浸透層の合金元素濃度が比較的低濃度であることとその浸透量が少ないことから、転動部材に合金元素からなる極めて薄い単一元素もしくは多元素からなる拡散源をプレーティングし、加熱拡散期を設けて拡散浸透させることができるので、第15発明においては、溶融メッキ法、塩浴法、電気メッキ法、化学メッキ法、蒸着法、スパッタリング法、溶射法等の各種方法でプレーティングした後に、拡散浸透させることを特徴とした。
【0052】
また、当然のことであるが、前記第13〜15発明の拡散浸透方法を組合わせて利用できることは明らかである(第16発明)。
【0053】
また、第17発明では、合金元素の拡散処理後に引き続いて浸炭、浸炭浸窒もしくは浸窒処理を実施して、生産性を高めるためには真空浸炭およびプラズマ浸炭が行える浸炭、浸炭浸窒炉を用いて、少なくとも1000℃以上の温度で処理することを特徴とした。
【0054】
また、第18発明では、前記浸炭および/または浸炭浸窒処理後にその処理に続いて焼入れと300℃以下の焼戻し処理、もしくはその処理後に一旦冷却して、再加熱焼入れと300℃以下の焼戻し処理を施すことを特徴とした。ここで、前記再加熱焼入れ処理によって、浸炭および/または浸炭浸窒処理する表面層がマルテンサイト相にセメンタイトが分散した組織になるようにされるようにした(第19発明)。
【0055】
なお、本発明につながる各合金元素の働きについてまとめて次に記述する。
【0056】
(1)Si
SiはフェライトFe相を強力に安定化させるために、転動面表面から拡散浸透させる際には、▲1▼その表面層に拡散性に優れ、かつ、炭素固溶度が極めて少ないフェライトFe相が形成され、▲2▼Siが炭素と強く反発し合い炭化物を形成しないこと、さらに、▲3▼Si自身の拡散性が他の置換型合金元素のそれよりも大きいことなどの理由から、Siの浸透速度はフェライト相中におけるSiの拡散によって律せられるようになるので、その拡散浸透処理温度をより低温度で、もしくは、拡散浸透処理時間をより短時間にすることができ、例えば、850℃では10μm以上の拡散浸透層が約1時間で形成され、また、1000℃、1100℃では1時間で50μm,100μmの拡散層が形成されることが計算される(図1:表面のSi濃度が5wt%となるようにした時の拡散プロフィル参照)。
【0057】
またSiは、前述の300〜350℃以下の低温焼戻し温度域での焼戻し軟化抵抗性を顕著に高める元素であり、その焼戻し軟化抵抗性を高める機構としては低温度で析出するε炭化物をより安定化し、セメンタイトの析出開始温度をより高温度側に引き上げることによって焼戻し軟化を防止することが示されている。
【0058】
Siの下限添加量は、1重量%当りのSiの300℃焼戻しでの軟化抵抗△HRCが4.3であることと、0.9重量%炭素から求まる300℃焼戻しのベース硬さがHRC55であることから、300℃焼戻し硬さHRC60を確保するためのSi添加量は約1.1重量%であり、さらに、鋼中に含まれるCr,Mo,Al等の合金元素の硬化を考慮すると、下限のSi添加量は約1.0重量%であり、より好ましくはその下限量を1.5重量%として、より機能を高めることが好ましいのは明らかである。
【0059】
また、Siの上限添加量は、前述の転動面表面層においてオーステナイトを顕著に安定化する炭素が0.6重量%以上含有されることから、Ac3変態温度が850℃を超えないように7重量%と設定されるが、5重量%以上の合金化によってもろくなる危険があるために、5重量%を上限濃度とした。
【0060】
さらに、歯車等転動部材の表面に浸炭を施し、その表面炭素添加量を0.9〜1.7重量%に高めて、さらに再加熱焼入れ処理によって転動面に微細なセメンタイト粒子を分散させ、300℃以下の温度で焼戻し処理を施して、少なくとも300℃焼戻しでの硬さをHRC62以上に確保するためのSiの上・下限添加量は、ほぼ上述のSi添加範囲が好ましい。
【0061】
さらにまた、前記浸炭時に表面層にセメンタイトを析出させずに、表面炭素量を0.9〜1.7重量%に高めるためには、浸炭処理を930〜1100℃の高温で実施し、その浸炭中に炭素活量を高める必要があるが、このような高濃度な炭素ポテンシャル下での浸炭時においては、鋼中にCr元素が多く含有される場合に、その浸炭処理中に粗大(3〜15μm)なセメンタイトの析出(過剰浸炭)が起こり易くなり、歯車強度を顕著に劣化することが危惧されるので、本発明では、そのセメンタイトの析出を伴う過剰浸炭を防止するためにSiを積極的に添加することとして、かつ、Si添加量の1.4倍以上にCrを添加しないようにした。
【0062】
なお、より詳細には、式
−0.146×Si(重量%)+0.03×Mn(重量%)−0.024×Ni(重量%)+0.075×Cr(重量%)+0.043×Mo(重量%)+0.133×V(重量%)≦0
の関係を満足させる鋼材を用いることとした。
【0063】
したがって、この鋼材を用いた場合は、炭素活量を1の状態で浸炭処理する真空浸炭法やプラズマ浸炭法を利用することができ、1100℃以下での高温浸炭が安価に採用できることは歯車等転動部材の製造方法として極めて有利であり、粗大なセメンタイトの析出を防止することは歯車等転動部材の強度を高めるのに好ましいことは明らかである。
【0064】
なお、フェライトFe相を安定化するが強力な炭化物形成元素であるCr,Ti等を表面から拡散浸透させる場合には、表面層においてベース鋼材中の炭素と反応しながら特殊炭化物が形成されるために、Cr,Tiの拡散浸透が極めて遅くなるとともに、表面層が脆弱化される問題がある。この場合に、まず炭素と反発し炭化物を鋼中において形成しないSi等のフェライト安定化元素をCr,Ti等よりも先行して拡散浸透させることによって表面層の炭素をより奥に排出しながら、遅れてCr,Tiを表面から拡散浸透させることが好ましいのは明らかである。
【0065】
また、前述のようにしてCr,Ti,Mo,W等を拡散浸透させた後に、浸炭処理、浸炭浸窒処理、浸窒処理を施すことによって、転動部材表面層に特殊炭化物、特殊炭窒化物、窒化物を微細に分散析出させる場合には、極めて良好な耐焼戻し軟化抵抗性と耐焼付き性を付与できることは明らかである。
【0066】
なお、前記特殊炭化物、特殊炭窒化物を浸炭、浸炭浸窒処理で分散析出させる際においては、同時にセメンタイトの析出が起こらないような組成範囲に調整しておくことが必要であり、例えば表面層における各合金元素濃度がCr:3.5〜20重量%、Mo:2.0〜20重量%、V:0.5〜20重量%、W:1.0〜10重量%、Ti:0.5〜5重量%に調整されていることが好ましい。
【0067】
(2)Al
Alは強力な脱酸作用を示すことおよび鋼中に含有される不純物元素であるP,Sを結晶粒界から排斥する作用が強力であることから鋼材の清浄度化に有効であること、さらに、本発明では、AlがSiよりも低温焼戻し軟化抵抗性を高める元素であることを確認し(△HRC=7.3)、Alを単独に拡散浸透させたときの下限のAl表面濃度は0.7重量%となる。
【0068】
AlはSiよりも強力なフェライト安定化元素であり、Ac3温度をSiに比べて約1.6倍高める作用を有するが、表面層の炭素濃度を前述のように0.6重量%以上に高めることから、Al表面濃度を10重量%とした場合においても900℃以下の焼入れ温度が確保されるが、表面層にNi,Co等を拡散浸透させた場合には、例えば10〜20重量%Al、10〜30重量%Coの組成範囲で極めて顕著な時効硬化性を示し(特開2002−180216号公報参照)、顕著な焼戻し軟化抵抗性が発現されることが明らかなことから20重量%Alを上限値とした。
【0069】
また、Alを0.35〜2.0重量%含有する鋼を浸炭浸窒処理後に焼入れ焼戻した転動部材のピッチング強度が顕著に改善されることが本発明者によって開示されている(特開平10−176219号公報参照)。この開示技術はAlを合金元素として固溶、溶製された鋼材に浸炭浸窒されたものであることからその効果が十分でなく、本発明においては、そのAl濃度を高めることによってより高面圧に耐える転動部材を開発することができることは明らかである。
【0070】
さらにまた、Alを2〜20重量%に調整した表面層においてはFeAl相に関する規則・不規則変態が出現し、その摺動特性が顕著に改善されることが本発明者によってすでに報告されており(特開2002−180216号公報参照)、すべりが大きく関与するベベルギヤ等の歯面のピッチング強度を高めることに有効であることは明らかである。
【0071】
(3)Co
Coはフェライトを安定化させ、炭素と反発し合い、FeCoの規則変態性を有すること、さらにFe−Co−Al系においては前記7.5〜20重量%Al、10〜30重量%Coの範囲においてその硬さHv600〜760(HRC55〜62)の硬質相が形成されることから(特開2002―180216号公報参照)、その焼戻し軟化抵抗性が改善されることは明らかである。
【0072】
またさらに、Coの添加によってマルテンサイト相の磁気変態温度が顕著に高められて合金元素や炭素の拡散性が顕著に抑えられ、これによって焼戻し軟化抵抗性が改善されることは明らかである。
【0073】
(4)Mo
Moは高価な合金元素であるが、鋼の焼入れ性を向上させる有効な元素であるとともに、焼戻し脆性を抑える元素であることから、多くはベース鋼材中に〜0.35重量%含有されているが、本発明では0〜20重量%範囲で表面層に拡散浸透されることが好ましいものとしたが、Mo系の特殊炭化物を浸炭によって分散析出させるために、その下限Mo濃度は約2.0重量%とし、すべりに伴う耐焼付き性の改善を図るためには、これ以上のMo濃度が好ましいことは明らかである。
【0074】
(5)W
WもMoとほぼ同様のことが考えられ、本発明では0〜10重量%範囲で表面層に拡散浸透されることが好ましいものとしたが、W系の特殊炭化物(例えばWC)を浸炭によって分散析出させるために、その下限W濃度は約1.0重量%とし、すべりに伴う耐焼付き性の改善を図るためには、これ以上のW濃度が好ましいことは明らかであるが、フェライトFe相中へのWの固溶度を勘案した場合のW添加の上限濃度は10重量%である。
【0075】
(6)V
Vも高価な合金元素であり、V炭化物を形成するがその下限V濃度は0.5重量%であり、すべりに伴う耐焼付き性の改善を図るためには、これ以上のV濃度が好ましいことは明らかである。
【0076】
(7)Ti
TiはTiC,TiN,TiCN等の特殊炭化物、窒化物、特殊炭窒化物を強力に形成し、その下限Ti濃度は0.5重量%であり、すべりに伴う耐焼付き性の改善を図るためには、これ以上のTi濃度が好ましいことは明らかであるが、フェライトFe相中へのTiの固溶度を勘案した場合のTi添加の上限濃度は5重量%である。
【0077】
なお、ベース鋼材に元から添加する炭素量の下限値は0.10重量%が望ましく、その上限値は焼入れ焼戻し後の浸炭層内部の素材組成部の硬さがHRC55を超えない0.35重量%とすることが望ましいことは明らかであり、さらに、前述の合金元素を拡散浸透させる際の浸透速度がフェライトFe相の形成容易性に影響されることから、オーステナイト相を最も顕著に安定化する炭素の添加量はより低いことが望ましいので、上限炭素量を0.35重量%とし、より好ましくは0.25重量%とした。
【0078】
炭素と同様な観点から、ベース鋼材に含有されるMn,Niもオーステナイト相を安定化する合金元素であるために、必要以上に添加することは避けるべきであり、1重量%に抑制することが好ましい。
【0079】
また、Mnは、前述のようにオーステナイトを安定化させる元素であるが、顕著な脱硫作用を示すこと、および鋼の焼入れ性を向上させる有効な元素であるために、Mnは目的に応じて適量添加されるが、そのMn下限量は0.3重量%である。
【0080】
さらにまた、高濃度のSi,Alを拡散浸透させることによって、本発明の熱処理過程において黒鉛が析出する場合には、強度の顕著な劣化が危惧されるので、少なくともセメンタイトを顕著に安定化し、黒鉛化を阻害するためのCrが0.2重量%以上含有されることが好ましい。
【0081】
なお、本発明において、浸炭温度や再加熱温度および高周波焼入れ温度が高温度になりすぎた場合には、オーステナイト結晶粒が粗大化しやすい問題が起こる場合があるが、その場合にはTi,Nb,Zr,Ta,Hf等の既知なる結晶粒度微細化元素と呼ばれる元素類を0.005〜0.2重量%の範囲内で添加することが好ましいことは明らかである。
【0082】
なお、前述のような浸炭前や浸炭途中で行い得る合金元素の拡散浸透処理はSiCl,SiCl,TiCl等の低温揮発性に優れたハロゲン化合物ガスやSiHガスを雰囲気ガスとして利用し、そのガス中の合金元素を拡散浸透させることが好ましいことは明らかであるが、その他に電子ビーム溶解法を使った各種蒸着法、溶融メッキ法、電気メッキ法、化学メッキ法、スパッタリング法等で表面部をプレーティングした後に、不活性雰囲気や真空中等で加熱拡散させることも好ましい方法である。
【0083】
さらに、シリコナイジング、カロライジング、クロマイジング等の従来の各種合金拡散浸透処理(固体媒剤を使った方法や塩浴方法を含む)を施した後に、再加熱拡散処理によって表面層の合金元素濃度を調整し、さらに、浸炭、浸炭浸窒、浸窒を施し、表面層合金元素濃度を調整することも好ましい。
【0084】
【実施例】
次に、本発明による転動部材とその製造方法の具体的実施例について、図面を参照しつつ説明する。
【0085】
<実施例1>焼入れ焼戻し炭素鋼および浸炭焼入れ肌焼き鋼のピッチング強度
(予備試験)
本実施例では、歯車での歯面における転動疲労強度を調べるために、図2に示される試験片にてローラピッチング試験を実施し、各種の焼入れ焼戻し炭素鋼および浸炭焼入れ肌焼き鋼のピッチング強度を調べた。表1は本実施例に用いた各種炭素鋼、肌焼き鋼の化学成分を示したものである。
【0086】
【表1】


【0087】
各種鋼材は図2(a)に示される小ローラ形状に加工した後、No.1,2,4は820℃で30分加熱後に水焼入れし、160℃で3時間焼戻して試験に供した。また、No.3は素材調質処理後に転動面を40kHzの高周波電源を用いて焼入れ硬化し、上述と同様の焼戻し処理を施した。さらに、No.5は930℃で5時間の浸炭処理(炭素ポテンシャル0.8)した後、850℃に冷却し、850℃で30分保持した後に60℃の焼入れ油に焼入れした後、上述と同様の焼戻し処理を施した。
【0088】
なお、図2(b)に示される大ローラ片については、No.4のSUJ2材を820℃で30分加熱後に水焼入れし、160℃で3時間焼戻ししたものを使用し、ローラピッチング試験は70℃の#30エンジンオイルで潤滑しながら、小ローラ片を1050rpm、大ローラ片(負荷ローラ)を292rpmとして40%の滑り率を与え、面圧375〜220kgf/mmの種々の条件で負荷を与えて実施した。
【0089】
図3には、各種面圧でピッチングが発生した繰り返し回数がまとめて示されている。図中、基準とする浸炭肌焼き鋼における各面圧における最小繰り返し数をつないだ寿命線が実線で示されている。ピッチング発生繰り返し数が10回となる時の面圧を転動面疲労強度と定義した場合、そのピッチング強度は約210kgf/mmとなることがわかった。また、同様の整理の仕方で検討すると、No.1:175kgf/mm、No.2:240kgf/mm、No.3:260kgf/mm、No.4:260kgf/mmとなることがわかった。さらに、浸炭肌焼き鋼はバラツキが多少大きく、この原因は転動面での浸炭時の粒界酸化や不完全焼入れ層の存在や残留オーステナイト量が多いこと等によるもので、平均的なピッチング発生回数で比較した場合には、No.2のピッチング強度と変わらないことがわかる。
【0090】
また、面圧250kgf/mmでピッチングを発生した転動面のマルテンサイト相のX線半価幅を調査した結果、No.1:3.6〜4.0°、No.2:4〜4.2°、No.3:4.2〜4.4°、No.4:4.3〜4.6°、No.5:4〜4.2°であった。
【0091】
さらに、前記熱処理を施したNo.1〜5のTPを250〜350℃で各3時間焼戻しした時のX線半価幅を調査した結果、前記ピッチング発生転動面の半価幅はほぼ300℃で焼戻した半価幅と合致し、また「材料」、(社)日本材料学会、第26巻、第280号、P.26で報告されている各種炭素濃度の炭素鋼の焼戻し硬さと半価幅の関係ともほぼ合致することがわかる。
【0092】
<実施例2>焼戻し軟化抵抗性の確認
表2は本実施例で使用した合金組成を示したものであり、熱処理は810〜870℃で30分加熱後に水冷し、300℃,350℃で3時間焼戻しした試験片のロックウェル硬さHRCを調査し、さらに、これらの硬さに対する各合金元素添加量の影響を解析した。
【0093】
【表2】


【0094】
なお、予備実験として、0.1〜1.0重量%の炭素と0.3〜0.9重量%のMnを含有する炭素鋼についても調査し、前記合金元素の影響の解析ベースデータとしたが、その結果、
250℃では HRC=34×√C(重量%)+26.5
300℃では HRC=36×√C(重量%)+20.9
350℃では HRC=38×√C(重量%)+15.3
で近似されることがわかった。
【0095】
また、これらの炭素鋼硬さをベースに合金元素の影響を解析した結果、焼戻し軟化抵抗△HRCは、例えば300℃で、次式で記述できることがわかった。
△HRC=4.3×Si(重量%)+7.3×Al(重量%)+1.2×Cr(重量%)×(0.45÷C(重量%))+1.5×Mo(重量%)+3.1×V(重量%)
この結果から、AlはSiの1.7倍の焼戻し軟化抵抗性を発現することがわかり、転動面圧強度の改善要素として極めて効果的であることがわかった。
【0096】
図4には、前記解析結果から求められる焼戻し硬さと実測した焼戻し硬さの合致性が示されている。この図から、バラツキ幅がHRC±1の範囲で精度良く予測できることがわかる。また、実施例1のSCM420(NO.5)の浸炭層(0.8重量%炭素)の300℃焼戻し硬さについても図4の☆印で示しており、計算値と良く合致していることがわかる。
【0097】
<実施例3>拡散浸透処理によるピッチング強度の改善
本実施例では、肌焼き鋼SCM415Hを用い、図2に示されるローラピッチング試験片に加工した後、Si,Al,Crの拡散浸透処理を実施し、さらに、浸炭焼入れ処理を施した。
【0098】
なお、拡散浸透処理は100メッシュ以下のSi粉末、Fe51重量%Al合金粉末、Fe66重量%Cr合金およびAl粉末とNHClを適量に混合して前記試験片とともに鉄製容器に充填し、H気流中で1050℃で30分加熱することにより行った。
【0099】
前記拡散浸透処理後は、試験片を真空中で1020℃で30分加熱した後に、メタンガスを導入し、表面層炭素量が0.7重量%と1.3重量%になる条件で真空浸炭処理(浸炭期+拡散期=120分)を施し、一旦ガス急冷した後に850℃に再加熱後油中に焼入れし、180℃、3時間の焼戻し処理を施した。なお、前記熱処理後の表面層におけるSi濃度は3〜5重量%、Alは1.5〜3.0重量%、Crは4〜6重量%の範囲にそれぞれあることを確認した。また、そのときの拡散浸透深さはSi,Alは約0.15mmであり、Crは約0.08mmであった。
【0100】
ローラピッチング試験は実施例1と同じ条件で実施した。その結果が図5に示されている。また、同図中には実施例1の予備試験結果が各実線で示されているが、まず、Siのみ、AlのみおよびSiとCrを同時に拡散浸透させた後に0.7重量%Cの条件で浸炭した。No.S1(○)、No.A1(△)、No.SC1(□)のピッチング強度は従来の浸炭肌焼きのそれに較べて顕著に改善されていることが明らかである。中でもSiとCrを同時に拡散浸透させたNo.SC1が最もピッチング強度が優れている。これは0.7重量%Cの条件で浸炭した場合においてもCr炭化物が微細に析出するためである。
【0101】
また、前述と同様に各元素を拡散浸透させた後に、1.3重量%Cの条件で浸炭したNo.S2(●)、No.A2(▲)、No.SC2(■)においては、さらに微細なセメンタイトとCr炭化物が分散されるために、さらなるピッチング強度の改善が認められる。
【0102】
さらに、No.A1の浸炭処理後に850℃の再加熱時にアンモニアガスを流気させて浸窒処理を1時間実施したNo.AN1(☆)の試験結果も同図中に示したが、浸窒処理によりAlN窒化物が微細析出することによって顕著にピッチング強度が改善されていることがわかる。
【図面の簡単な説明】
【図1】図1は、SiのαFe相内拡散プロフィルを示すグラフである。
【図2】図2(a)(b)は、ローラピッチング試験用試験片を示す図である。
【図3】図3は、ローラピッチング強度の予備試験結果を示すグラフである。
【図4】図4は、焼戻し硬さの実測値と計算値の比較を示すグラフである。
【図5】図5は、実施例3のピッチング強度を示すグラフである。
【出願人】 【識別番号】000001236
【氏名又は名称】株式会社小松製作所
【住所又は居所】東京都港区赤坂二丁目3番6号
【出願日】 平成14年9月17日(2002.9.17)
【代理人】 【識別番号】100097755
【弁理士】
【氏名又は名称】井上 勉

【公開番号】 特開2004−107709(P2004−107709A)
【公開日】 平成16年4月8日(2004.4.8)
【出願番号】 特願2002−270340(P2002−270340)